中医学と広東語の日々

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カテゴリ:思い立った時から( 5 )

思い立った時から その5

47歳になったある日、ふと「やっぱり広東語を一からやり直そう!」と思い立ちました。
まぁ、ふと思い立ったというより正確には心の隅に火種があり、それが大きくなった感じです。きっと。

今勉強を始めて10年たってもまだ50代か・・・。
20年たったら67歳。まだまだ働けそうです。
一応長生きする予定なので(笑)、そうなると30年以上「あぁ、あの時広東語やっておけばよかった。」
なんて思って過ごすのは嫌だなぁって思ったのです。

それでネットなどで色々探した結果、「何かわからないけど良さそう。面接あるから行ってみよう。」

それが今も通っている「ウィズダム広東語学院」です。

現在覚えたことのある語彙は、この間数えたら6800くらい。覚えたことのあるというのは、
忘れていて、反射的にパッと出てこないものがいくつもあるからです(汗)。

だいぶ覚えたかなぁなんて、薄ぼんやり思っていたのですが、恥ずかし過ぎ・・・。
まだまだ!!! 

前回の授業中、先生から「現実を知って、みなさんもっともっと頑張って下さいね!」
という励ましのお言葉を頂きました。
「少し古い統計ですが、語彙数は1950年代の日本の小学校低学年で5千。
小学校卒業程度で3万。英語の語彙に関しては、東大入試の英語レベルで7千ですよ。」

・・・ということは、私の広東語の語彙数は、ネイティブの小学校低学年さんとどっこいどっこいか?
いや、幼稚園生にようやく届くかどうかも・・・。
なぜって、この間も広東語版の「忍たま乱太郎」をyoutubeで見たら
全部なんて聞き取れなかったですから・・・(大汗)

広東語をハイレベルで習得したいと思う限りは、めんどくさいとか生ぬるいことを思っていないで、
ガンガン行かないと人生終わってしまいますね。

とにかく一日一日を大事に、後悔しないように過ごして行きたいと思います。

by chintau | 2016-05-31 10:49 | 思い立った時から | Comments(0)

思い立った時から その4

私は家庭だけでなく仕事もしたいと思っていたほうだったので、
子供が1才になった時にそれまで働いていた所に復帰し、トータルで10年くらいパソコンで
名刺やはがきの原稿を入力するオペレーターをしました。

子供が2才になった頃、一生続けられる仕事はないかと模索し始めました。
これまでやっていた仕事も面白くやりがいはありました。
通常の入力業務に加えて、イラストレーターやフォトショップというソフトを使って
地図やロゴのトレースをしたり、新人さんの研修を担当したりもしていました。
でも、おばあさんになっても出来る仕事ではなかったので、何とか今後の道筋をつけるには
早い方がいいと思ったのです。

そして色々考えた末、日本にある中医学専門学校のひとつ黒竜江中医薬大学日本校に入学。
週4日仕事をし、3日学校に通う日々が3年間続きました。

週4日仕事をしたくても、喘息を持っていた子供は、特に冬はずっと風邪→気管支炎 を繰り返し
途中で保育園から発熱した旨迎えに来るようにと電話がかかってきたり、休まざるをえなかったり、
授業によってシフトの曜日をずらしてもらったり、そんな私を辞めさせないで雇ってくださっていた
当時の職場には、本当に感謝しています。

3日間でまとめて授業を取るため、朝から夜まで学校にいることも多かったです。
幸い夫や実家の母が子供の面倒を見てくれていたのですが、
よく玄関先で「ママぁ~、行かやいでぇ。」と泣かれました。
後ろ髪をひかれる思いでしたが、同時に授業も休みたくなかったのでいつも複雑な気持ちでした。

そのかわり、一緒にいる時はいつも密着!膝の上か背中にいましたし、
ギューっと抱きしめたり、クンクン匂いを嗅いだり、試験前は寝かしつける時に、
長座で座る私の足の上でうとうとする子供の背中を片手でトントンし、もう片方の手で
学校のテキストを開いてるような図でした。

当時は、保育園に子供を預けて仕事をすることや、休みの時まで子供と離れて学校に行くことに
迷いもあり、私何やってるんだろう? もっと子供が大きくなってから始めてもいいのかも?
でもそれじゃキャリアゼロだし・・・ 家のことをもっとしっかりやらないとかな? とか とか とか!!!

特に疲れてくると迷いが大きくなり、でも結局は辞める選択肢は私の中にはありませんでした。
このあたりは干支がヘビ年ってことで「ヘビのようにしつこい」とかで
一度決めたことをやり通したい!だったかもしれません(笑)

3年目の後半は、最後に受ける国際中医師レベル試験の勉強もあり、
初めて、勉強しすぎて頭の地肌がチリチリするのを経験。
3年間の集大成でもあったので、ぜったいに受かりたかった。
今までで一番緊張した期間だったかもしれません。

卒業後、子供は小学校に入学。
隙間に細々と自宅で薬膳レッスンを開いたり、毎週土曜と祝祭日や大型連休の半分くらい
中華街の足ツボ店で施術スタッフとしても働き始めました。

細々でもいたしかたない、ただゼロにはしたくなかったのです。

迷いもありつつ、でもその時「よし!コレ!」と思って選んだ道を進むしかないと
それは今でもずっとそうです。

正解か否かは、のちにこの世を離れたときにわかるのかも。
「否」の場合は、また生まれ変わって修行のし直しというところなのかもしれませんネ~~

つづく。

by chintau | 2016-05-28 15:06 | 思い立った時から | Comments(0)

思い立った時から その3

その後もレポート提出と科目試験受験を繰り返して徐々に単位数を増やし、
ようやく卒論指導に漕ぎ付けました。

内容は、聖パウロのことについて。
古代オリエントに属する分野だった為、
卒論指導は、考古学の小川英雄教授(現:名誉教授)でした。

それまで小川先生とはお会いしたことはありませんでしたが、
2教科レポート提出時に添削をして頂いていたので、とても嬉しかったです。

何回かある「卒論指導」では、論文など書いたことのない右も左もわからない学生に
穏やかにわかりやすくご指導下さりました。
お会いできない期間もわからないことを往復はがきでお尋ねすると、
即丁寧にお返事を下さり、本当に有難かったです。

ちなみに当時はワープロで原稿を打っていました。バックアップはフロッピー。懐かしい・・・。
相変わらず大学の図書館にも通っていました。

そうそう、旧館の地下階は単なるウワサではありましたが、何かが出る・・・みたいなのを聞いていて、
確かに昼間でも薄暗くて古ーい本のちょっとかび臭い臭いもしていました。
私は恐がりなので、あまり近寄りたくなかったのですが、そんな時に限って
探している文献がそこにあったりしておっかなびっくり足を踏み入れたこともありましたっけ・・・(笑)

大学の通信課程は6年半かかりましたが、何とか卒業に漕ぎ付けました。
生まれてこのかた、何をやってもいいかげんで中途半端だった私。
ようやくひとつのことを成し遂げられたという安堵感も生まれました。

それから、もう当分勉強はしない!なんて思っていたのですが、
せっかく少しは耕された脳みそも、またすぐ後退するのはもったいないなと思い、
それなら中国語を習おうと学校を探し始めました。

最初、北京語(普通話)を習うつもりで慶應義塾大学併設の語学学校に連絡すると
少し前に締め切りましたとのこと。
それで、次に当時新橋にあった「朝日中国文化学院」に連絡するとまだ間に合いましたのでそちらへ。
そこから1年半「朝日中国文化学院」に、その後1年個人の先生のグループレッスンに通いました。
今思えば、ここから広東語とのご縁が始まったのかも・・・?

ただし通っただけで、暗記がいやで全然物にはなりませんでした。
4年前に「もう一度最初からやり直そう!」となるまで、
広東語は気になりつつも10年以上放置しておりました。

その間中医学の専門学校に行き、今のホームサロン主宰に至ります。 
長くなりましたので続きはまた次回。

by chintau | 2016-05-27 11:16 | 思い立った時から | Comments(0)

思い立った時から その2

昨日の続きです。

提出するレポート作成のための参考文献は、ほぼ全て大学の図書館を利用していました。
貸し出しは卒論指導が始まるまでは利用できませんでしたが、
通信課程でも身分証を受付で見せれば閲覧は自由でしたし蔵書も豊富、必要ならコピーもとれましたから。
家にいるとついテレビを見てしまったり、そういう時に限って家事が気になったりするので、
静かな図書館は集中するのに最適でした。
本のにおいに包まれる中、静かな空間に身を置けたなんて贅沢な時間でした。

レポートが合格するとその科目の筆記試験を受けるわけですが、
課目によって持ち込み可・不可があり、またテストの時間割もあらかじめ決まっていたので、
数科目受ける時の組み合わせも考え、前回記したノートの一覧にいつ何を受けるかを記していきました。

レポートも試験も、合格したものあり、不合格のものもあり、その都度一喜一憂しました。
特に不合格の時は、ずっと引きずっていたあのコンプレックスが激しく蘇っちゃって
余計に落ち込みました。

慶應の通信課程の卒業率は当時入学者の3%と言われていました。今は6%くらいとも聞いています。
ずっと落ちこぼれで勉強が苦手だった私が、3%の枠に入れるとはとてもとても思えなかったけれど
入れないのはいやだ、何とか、何とか食い込みたい、じゃないとこの先私の人生は真っ暗だくらいに
思い込む気持ちまでありました。冷静になれば何もそこまで・・・と言う感じですけど(笑)

時にまわりから「え?今更大学?」「結婚してるんだから子供作らないの?」とか
「ふぅーん、お勉強偉いね。」そんなお声を頂くこともありました。

まだ20代と若かったこともあり血の気も多かったからか(?!)心の中で「くそぉー!今に見てろ!」
「絶対卒業してやる!」と憤っていました。

今はそういうお声を下さった方々に感謝しています。
私のあまのじゃく的な反発心を上手に煽ってくださり、やる気に火が着いていたのですから~(笑)


by chintau | 2016-05-26 10:03 | 思い立った時から | Comments(0)

思い立った時から その1

今月中旬に51歳になりました。
現在も広東語学習に励んでおります。

振り返ると学生時代は、落ちこぼれでした。
そんな私が、まだ勉強したいだなんて!でもあの時思い切って入学したことは、ほんとに良かったと思っています。

26年まえのこと、ずっと落ちこぼれのコンプレックスを引きずっていました。
ほんとグズグズ何年も、とくに毎年大学受験の時期になると、ウジウジしてました。

結婚を機に家庭に入りしばらくして、このままではいけないと慶應義塾大学の通信過程に入学。短大卒だったので、一般教養の科目が何単位か認定されました。

勢い込んだものの、現実はウラハラ。最初の2年くらいは、何しろ勉強の癖がついていなかった為、次々に送られてくるテキストに呆然…。1科目しかレポートを書けず…。確か保健衛生。

単位取得は、テキストを読み、課題に沿って文献を何冊も調べレポートを書いて提出。パスすると筆記試験を受けることができ、それに受かると単位取得となります。

また、夏の日中や秋冬の夜間には、スクーリングがあり、最終日の試験に合格すると、ここでも単位がとれるというもの。

2度目のスクーリングでは、きちんと計画を立て着々と卒業に向けて単位をとっている方々と体育実技の授業で知り合うことができ、大いに刺激を受けました。

うす暗くぼんやりとした卒業までの道のりに、一筋の光が刺しました!

教えて頂いた方法は卒業年を決め、そこから逆算していつ何単位?どの科目?などを手帳に表にして書き込むというもの。

これはとても励みになったし、つい甘くなりがちな自分にカツを入れるのに役立ちました。

何で急にこんなことをブログに書いているかというと、広東語もそして中医学もまだまだ知らないことだらけで、時に気持ちが弱くなりそうになることもあるので、自身の備忘録として自分で自分を励ましたいと思うからです。

なので興味のない方はスルーしてくださいね
m(_ _)m




by chintau | 2016-05-25 21:18 | 思い立った時から | Comments(0)
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中医学養生・広東語学習・香港旅を綴っています。


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